ぼくは村上春樹がわからない

この日記、というかブログで最も読まれている記事は、
三年前の「東戸塚にいったい何があるというんですか?」である。
他の記事の倍ほどの参照数があったりする。なぜだろう。
東戸塚になんぞ、人はそうそう興味を持ったりしないと思う。
村上春樹を模したタイトルが人の気をそそるのだろうか。

とかいいながら、ぼくは村上春樹がわからない。
デビュー作の「風の歌を聴け」は二度読んだ。出たその年と翌年ぐらいにもう一度。
特におもしろくもなかったのに世間の評判があまりにいいので、
なにか見落としているんじゃないかと不安にかられたのだった。

16の時になんの感銘も受けなかったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を、
19で再び読み返してみたらいたく心に響いたという経験があった。
あの日理解できなかったことが、やがて心に突き刺さったりするのだ。
そうも思って再読した「風の歌を聴け」だった。
だったのだが、だがしかし。やっぱりおもしろくもなんともない。

「羊をめぐる冒険」も読んでみた。これまたまったくつまらない。
そして「ノルウェイの森」である。
当時好きだった女性が感激しつつ語ったこれさえも、しかしぼくには「うーん」な作品だった。
リアルタイムでここまで読んで、ひとつ気づいたことがある。
村上作品の登場人物のことごとくが、ぼくは嫌いなのだった。

そんなこんなで、ぼくは村上春樹がわからない。
なのにあまりに高い世間的な評価ゆえ、ぼかぁ不安になってくる。
理解できない自分になにか欠陥、未発達な部分があるんじゃないかと。
そのよさを、味わいを、誰かレクチャーしてくれてもかまわない。

ところで、そんなぼくはじゃあ好きな作家は誰かというと、
海音寺潮五郎、井上靖、花村萬月、奥田英朗だったりする。
特に井上靖の「夏草冬濤」と「北の海」は愛読書といっていい。
数年おきに読んでいる。登場人物のすべてが好きだ。憧れる。
というか、憧れていた。あんなキラキラした人物にぼくはなれただろうか。

話は大いにそれたが、東戸塚にいったい何があるのか改めて書いておくと、
そこには地区センターというのがあり、そこで開かれている韓国語講座にぼくは通っている、と。
で、新型コロナウイルス問題で地区センターが休館になってしまったので、
今月の授業は横浜駅近くの貸し会議室にて行われた、と。
帰りにポルタの地下に寄ったら、誰もなんにも自粛してないじゃんというぐらい人がいた、と。
冷たい雨がやがて雪に変わったそんな横浜。