馬鹿が雨を止めるわけじゃない

1960年代末、あるいは70年代初頭のアメリカを舞台にした映画において、大半はベトナム戦争がらみだったりするのだが、CCRの楽曲が使われるケースが非常に多いと感じている。なかにははっきり「クリーデンスはいいなぁ」と登場人物に言わせた作品まであった。かように時代と切り結んだバンド。

そう、クリーデンス。
CCRはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。GFRはグランド・ファンク・レイルロード。BSTはブラッド・スウェット&ティアーズ。BST? BTSのまちがいじゃね? などと今時の人は言いそうだが、まー、こういうことを覚えては吹聴してまわる中学生のひとりがぼくだった。

当時のCCRがどれほどの人気を誇っていたかというと、来日に際して音楽誌がそのツアーをレポートする別冊付録をわざわざつけるほどだった。そこでは同時期に来日したピンク・フロイドも扱われていたのだが、割かれたページは圧倒的にCCRの方が多かった。まー、単純に締め切りの問題だったとは思うが。

とかいいながら、ぼくが中学時代に親しんだCCRナンバーはせいぜい「雨を見たかい」ぐらいのもので、あの「プラウド・メアリー」もアイク&ティナ・ターナーの曲だと思っていた。

そういえば、この夫婦デュオをアイ・キャン・ティナ・ターナーと聞き違えていた者がいた。私はティナ・ターナーができる。なんだそれは。中学男子というのはおおむねバカなので、トム・ジョーンズの「ラヴ・ミー・トゥナイト」を「私は夜を愛す」と訳す者もいた。

ともあれ、ぼくが真にCCRにハマったのは高校生になってからで、従兄にアルバム『COSMO’S FACTORY』を譲ってもらったのに端を発する。最高傑作と評されることが多い70年のこの作品で、ジョン・フォガティーは一気にぼくの憧れの人となった。

ビートルズが解散に至るまでをある程度知っていたぼくらにとって、CCRの解散は寝耳に水で、なんと決断の早い連中だろうとすら思った。もう少し停滞期があってもいいし、ごたごたが伝わってきてもいいだろうと。

そんなCCRを、最も聴きこんだのは大学生になってからだ。高校時代とは金回りがちがうので、バッドフィンガーや頭脳警察、はっぴぃえんどなどと同様に、当時手が届かなかった作品をガシガシ集めたものである。

というわけで、本日は意外なところでカバーされていたCCRナンバーを紹介する。ミャンマーである。およそなんでも歌うメースウィという国民的歌手がいるのだが、ふたつのCCRカバーを見つけた。膨大な作品のなか、わずかに20数枚しか入手できなかったぼくがいうことなので、実はもっともっとあるのかもしれない。

まず、こちら。30年かそれ以上前に見つけた。
オリジナルにはないウキウキ感が楽しい。

続けてこちら。
無知な中学生が「バカが雨を止める」などと訳していないことを祈る。

ジョン・フォガティーは自作がミャンマーでも親しまれているのを知っているだろうか。伝えたい。CCRが好きな人は世界中にいてるで。あんたの作った曲が好きやで。今もやで。