その後、2本の映画を観た。
前回でも触れた、かねてから予定していた「密輸 1970」と、劇場での予告編でにわかにその気になった「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」だ。
前者は、さすがキム・ヘス。なかなか痛快。かの国のきれいどころはもっと悪女とか汚れ役を引き受けたらいいと思うぞ。個人的には、シン・セギョンとかハ・ジウォンとか。後者、これもさすがスカーレット・ヨハンセン。マーベルではない姿をこそもっと見たいと思う。
とまぁ、どちらも飽きずに最後まで楽しめはしたのだが、劇場を出てもなお気持ちが高ぶっているというような作品ではなかった。席を立ったらもう冷めてる。
しばし興奮冷めやらず、翌日になってもまだ誰かに語りたいというような作品に、実はこの2本を観る前に遭遇していた。前回、最後で触れた「こんにちは、私のお母さん」がそれだ。観終えた直後だったので、ものの数行ですませてしまったが、翌日になってもまだ感動が続いていた。思い出すたび、泣きそうになっていた。で、再度観た。配信のいいところ。ぐっときた場面を何度も観た。関連動画もネットで漁った。大ハマりというやつだ。
いつになったら私を喜ばせてくれるのかと、母親になじられるダメな娘がタイムスリップした先は1981年。そこには、化学上場で働く若き日の母がいた。彼女を喜ばせたくて、幸せな未来を与えたくて、娘は奔走する。その顛末は人情喜劇で、正直なところ笑いのツボがちょっとちがっているせいか、B級感が否めない。
それが終盤、一気に挽回される。なぜ母親は、突然現れた娘を受け入れたのか。突然娘が現れた場面が、今度は母親の側から描かれる。布石の回収、種明かし。別の意味を持って再現される同じシーンにぐっとくる。若き母親の表情がまたいいのだ。すごくいいのだ。何度だって見たいのだ。焼き付けたいのだ。
そしてエンドロール。目を離せない監督の、イコール主人公である娘の独白だ。ぶわっとくる。涙声になってしまうので喋りたくない。この瞬間、この作品は、ぼくのフェイバリットのひとつになったのだった。
以下余談。
この後、スタッフロールで流れる曲がいたく気に入ったぼくは、初めてスマホの曲検索というのを使ってみた。ものの1秒で答えが出た。すごいな、おい。でもって、この曲、歌いたい。けれども、歌詞はわかれど読めたりしない。第2外国語が中国語だったとはいえ、もう読めない。誰かルビふってくれないか。ちなみに、イラスト右が、この映画の監督兼主演女優。