小学生、甘く切ないキモチを知る

園まりが死んだ。
彼女の「逢いたくて逢いたくて」は、ぼくが初めて感銘を受けた歌謡曲だった。

もちろん、それ以前にも歌謡曲は耳に入ってきてはいた。記憶にある最初のそれは、橋幸夫の「潮来笠」だ。しかし、さすがにこれは幼稚園児には受けない。ただ聴き覚えがあるというだけだ。父親が買ったレコードの中の1枚だったのかもしれない。他には畠山みどりだの、竹越ひろ子だのがあったのを覚えている。

やがて「高校三年生」、「こんにちは赤ちゃん」、「愛と死を見つめて」、「浪曲子守歌」などといった曲が流行るのだが、いずれもぼくの心には響かなかった。その後の「アンコ椿は恋の花」だとか「柔」だとかも同様だ。響くわけがなかろうもん。ぼくが幼すぎたせいだけではないと思う。

そんな中、というか、その直後、あるいは1年だか2年の後、あーもう、記憶ぐちゃぐちゃ。とにもかくにも、そんな頃、ぼくの心を捉えたのは、火曜日7時の「ザ・ヒットパレード」で多く取り上げられていた洋楽カバー。

この当時、「乗ってけ乗ってけ」と口ずさまぬ小学生がいただろうか。「だーれのせいでもありゃしない」と唸らぬ小学生がいたろうか。「マベビベビバラバラ」と歌わぬ小学生がいたろうか。ぼくは、ぼくらの世代は、こうして音楽に親しんでいく。

園まりの「逢いたくて逢いたくて」を聴いたのは、そんな過程でのことだった。心が震える思いをした初めての旋律。流行り歌からもたらされる、甘く切ない心持ち。それは恋の予感でもあったかもしれない。きれいなおねいさんに憧れた。憧れていたような気が、今はする。

ジュークボックスで使い古されたレコードの安売り広告が、その頃読んでいた少年マガジンの片隅に載っていた。1枚150円だとかそんな値段。園まり、買おうかどうしようか。しばし悩んだ。それまでぼくが持っていたのは、アニメのソノシートばかりだったのだ。

結局、ぼくが初めて買ってもらった流行歌のレコードは、やや後のことになるが、GSだった。3枚一度に買ってもらった。母も聴きたかったのだと思う。タイガースとスパイダースと、あとテンプターズ。書いてて笑う。中村晃子にしておけばよかった。

いや、祈れよ、園まりの冥福。そうとも。合掌。

虹色の湖 / 中村晃子とザ・ジャガーズ