嘘のようだが本当だ。
コロナのせいもあり、本来なら嘱託として5年残れるところを4年で退職した会社が、ちょうどその1年後に消滅したのだ。消滅って? 詳しい事情はわからないのだが、潰れたというのとはちょっとちがうようだった。
日本の製造拠点はもういらないと、カナダにある本社が突如判断したらしい。ここに買収されたのは6、7年前。どういう勝算があったのか、設備投資にずいぶんお金をかけてくれたものだった。それがだ。
身売り先もなく、新会社として再出発という動きもなく、7月告知、10月解散という運び。後輩からのLINEで知ったのは、解散1週間前のことだった。社内はもうカオスですと注進にはあった。
なんとなぁ。ぼくと入れ替わるように正社員になった者も数名いたのになぁ。すごく喜んでいたのになぁ。家を買ったばかりの者もいたのになぁ。30代ならともかく、定年もローン完済もあと数年という連中はどうすんのよ。救いは退職金に色がつくということだけ。
で、ぼくは言われた。まるこめさんはベストなタイミングで辞めましたよ、と。うむぅ。そういえば、ぼくの退職2ヶ月後に定年を迎えた同僚は、嘱託として残ることができなかったとも聞いた。定年後4年働けたことも、会社消滅前に退職できたことも、うまいことやったと思われて当然か。が、それをいえば、ぼくなどより上の世代の方がずっとラッキーで、年金だってずいぶん多い。
と、常に下の世代は上を羨むものなのだろうか。そうであってはいかんだろ。いつまでもそうであっては。下の世代の方がより幸せになってもらわないと。それが日本の未来でないと。
事前に会社解散を知りながら、歩いてでも行ける距離に住んでいながら、週に3日のバイト暮らしでたっぷり時間がありながら、しかし、ぼくはその月のうちに会社を覗きに行くことはできなかった。たまたまラッキーだった奴が、急な不運に見舞われた者の様子を見に行く、という図が振り払えなかった。ずいぶん嫌な光景に、それは思えた。
12月になってようやく、誰もいなくなったであろう社屋を眺めに出かけていった。したらば、残務整理に5名ほどがまだ残っていた。皆の動向など聞き、諸行無常の理を知った。改めて。
早々に再就職が決まった者。別の業界に進むため学校に通い始めた者。郷里に帰っていった者。しばらくのんびりしてみるという者。身の振り方にもいろいろあるなか、年明けにかつての上司、けれど年下、から届いた賀状にこうあった。「うーん、仕事がない」。かける言葉もない。
社屋の解体が始まったのはその1年後。
今はみんな笑っていることを切に願う。