消えた会社の第2回、単身赴任時代まで

定年後に嘱託として4年間勤め、その後1年で消滅した会社についてもう少し。ここって実は、3度買収されている。たぶん。まー、ぼくが知る限り。

始まりは六郷の町工場。六郷というと、ぼくなどは即座に西六郷少年合唱団を思い出して「おおお」と思ってしまうのだが、語ると長くなるので割愛。ここはわかる人だけ「ふむふむ」と頷くところ。

で、六郷の町工場。買収されて、多摩川越えて、グループ企業が居並ぶ神奈川、川崎でも横浜でもない田舎にやって来た。やがて時流に乗ったのか、グループ内で一番の稼ぎ頭になったりも。調子づいた社長は、自分の故郷、遙か離れた北海道に新工場を作ったり。

ぼくが入社したのはその後だ。15年身を置いた業界が衰退、都内への通勤も苦で、地元企業を選んだ。いきなり正社員、半年経ずして賞与。前職では2期続けてボーナス支給されずだったので、あなうれしや。

数年後、外国企業に買収され、ほどなく社長、副社長は去る。となると、次は北海道工場の閉鎖だ。そもそもこれは、前社長が故郷に錦を飾りたいがために作ったようなもの。こちらで製造した物をわざわざ北海道で加工し、こちらに戻して検品、出荷という馬鹿げたことをやっていた。存続できるわけがない。

というわけで、きっちり閉鎖決定。と、ここまでは予想通り。それを超えていたのは、閉鎖に当たり北海道工場の技術を受け継ぎ、持ち帰ってくるメンバーのひとりにぼくが選ばれてしまったことだった。えええええっ。こうして、9ヶ月間の北海道単身赴任生活が始まる。

北海道の夏。いつになったら暑くなるんだろう、と思っているうちに終わっていた。扇風機は、風呂上がりに2度使っただけ。そして、アロハ着てうろうろしていたのは、人口4000人の町でぼくひとり。どこに行ってもじろじろ見られた。

借り上げられた社宅から工場まで、しばらく自転車で通っていたが、10月半ばに寒くて断念。初雪はその月末に降った。ただ、これはほどなく消え、積もり出したのは11月上旬。しんしん降り続く雪が珍しくて、飽きずに眺めた。雪を載っけたナナカマドの、なんて可憐なことだろう。

町ではたいした買い物ができなかったので、週末に同僚らと隣町まで行くのが常だった。その帰りに吹雪に遭遇した。と思っていたのはぼくらだけで、地元民にとってはなんてことのない降りだったのかもしれない。ぼくらのクルマはまるでスピードを上げることができず、100台ぐらいに追い抜かれた。だって本当に怖かったんですもの。ははは。

また、休日にはさらに大きな街、旭川までも何度か行った。ここまで来るとさすがに都会でほっとしたが、途中にある神居古潭の佇まいはもっともっと好きだった。石狩川、あぁ、美し。後年ここで悲惨な事件が起こるとは、誰に想像できようか。事件の舞台を、ぼくは何枚も写真に撮っていた。