うたが背すじを撃ちつらぬく

長いんだ、タイトルが。
『中島みゆきコンサート「歌会VOL.1」 劇場版』。
口に出して言いたくない。
「映画館で中島みゆき観た」でよくないか。
あるいは、「映画館で歌会観た」とか。

そんな映画をば、正月3日からプレミアムシートのど真ん中で観ておきながら言うのだが、ぼくは彼女のよきリスナーでは全然ない。ほとんどの作品がうちにはあるようだが、これらすべてはマダムの持ち物、ぼくは聴きかじっているだけで、未聴のものも少なくない。

とはいえ、LPレコードの時代には、『みんな去ってしまった』、『あ・り・が・と・う』、『愛していると云ってくれ』は3枚続けてけっこう聴きこみもした。76年から78年。ぼくの学生時代の、最後の3年にあたる。

ただし、この頃のぼくを最も魅了した歌い手は中山ラビだった。今は亡き。73年から80年まで、ぼくの音楽生活は彼女を軸に回っていた。とまで言っても過言ではない気がする。神戸から京都までのステージにはほぼ毎回出かけた。対してこの時期、中島みゆきのコンサートには1度行ったきりだった。

とにかくそういうわけで、中島みゆきに対して、深い思い入れがぼくにはない。ではあるのだが、マダムが行きたいといえば、これまでも有楽町だとか渋谷だとかで彼女のステージに共に触れては、それなりに感動していた。なぜか。

ここで同時代性ということばがふと浮かぶ。中島みゆきは、ぼくらの学生時代からずっといる。デビュー時から知っている。以来、途切れることなくコンスタントに活動している。その時々の話題の曲は、ことどとく聴き覚えがある。「悪女」、「ファイト!」、「地上の星」、「宙船」。実に半世紀にも及ぶのだ。時代とともにあるのだ。ずっとぼくらに伴走しているのだ。

今回のこの映像は、昨年、彼女が71歳の時のステージを収めたものだ。71歳。これが71歳の声量なのかと圧倒される。圧倒された。特に「心音」。ぼくは知らない曲だったが、これはまったく凄まじかった。雷に打たれたように、しばしぼくは痺れたままだった。

涙が一筋流れたのは、コミカルなアレンジの次の曲が流れて後のことだった。うおおおお。ものすごく感動している。ぼくは今ものすごく感動している。実感しながら、コーラスの女性とのダンスが楽しい「野ウサギのように」を、ぼくはにこにこ聴いていた。涙を流して、にこにこしていた。そして、崇めているのに気がついた。ぼくは中島みゆきを崇めていた。

一夜明けて、エンディングテーマとして「心音」が使われたアニメ、「アリスとテレスのまぼろし工場」をネトフリで観た。タイトルですごく損をしている映画。作画が美しいだけに、説明が行き届かない演出が残念だった。

さらには、エンドテーマが流れ出したとたんにぶった切るネトフリによる冒涜。エンドロールが終わるまでが作品だろうに。つうか、最後に「心音」が流れることで、この作品の価値は3割ぐらい上がるんじゃないかと思う。次の動画、次の作品と急かすんじゃない。