65歳、あかんやろ、早すぎやろ

ガース・ハドソンの死を悼むLINEが、古い友人から送られてきたその直後、ジョン・サイクスの訃報に接した。ハドソン、1月21日没、87歳。サイクス、同20日没、65歳。頻繁に死者が話題となる昨今。まさにそういう年代にぼくらはある。

ザ・バンドのメンバーで、ぼくが唯一顔と名前を一致させることができたのがガース・ハドソンだった。これはつまり、ザ・バンドについてあまり知らないといっているのに等しい。名前だけなら、他にも挙げることができるのだが。

まつわる思い出としては、音楽好きの担任教師に『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を薦められて聴いてはみたものの、ぴんと来なかったこと。後にはちみつぱいを聴いて「ザ・バンドやん」と思ったこと。デザインが優れていたせいか、一時期『ラスト・ワルツ』のジャケットを妙に見かけていたこと。って、それはザ・バンドの話であって、ガース・ハドソン関係ないやん。

そんなだから、いくら友が彼の死を嘆いても、ぼくにはさして感じるところがない。まして87歳。もうええやん。それよりも、や。ジョン・サイクス、65歳。これはあかんやろ、早すぎやろ。年下やん。

彼がシン・リジィに参加した頃、ぼくの興味はすでにこのバンドから離れていた。思えば『ライヴ・アンド・デンジャラス』と『ブラック・ローズ』だけの、中途半端なファンだった。であるのに、なぜジョン・サイクスが気にかかっていたかというと、すべては「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」にある。

この曲はシン・リジィ参加前のソロ・プロジェクトだったのだが、歌っているのはリジィのフィル・ライノット。それが縁となってバンド入りに至ったのだろうが、リジィ名義であれば、発売当時から誰もが知るヒット曲になっていたようにも思う。実際、広く知れ渡ったのは、ずっと後にデンマークのバンド、プリティ・メイズがこれをカバーしてからだった。

大ヒットとなったこのカバーは、サビの歌唱こそオクターブ上げてと変化をつけているが、キモとなるギター・ソロはオリジナルに忠実で、そこに大いなるリスペクトを感じてしまう。思い返せば、トミー・ボーリンの「ハイウェイ・スター」に、ぼかぁどれだけ落胆したことか。リッチー・ブラックモアのあのソロこそが「ハイウェイ・スター」なのであって、それは「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」も同様なのだ。

詞はただの未練を訴えるものではあるが、テーマの作りが素晴らしく、そのメロディーは頭の中で何度も鳴る。誰しも一聴してそうなる。飛翔するソロも美しく、切ない映画のワンシーンのような訴求力をもって迫ってくる。名曲だ。スタジオでもライヴでも、何度も録音されているのも納得の代表曲。

John Sykes & Phil Lynott – Please Don't Leave Me '82

そんな名曲、名演を残した男が、65年の生を終えた。
訃報に接して以来、いずれかのバージョンを毎日聴いている。YouTubeも漁っている。そのどれもが、ギター・ソロでぼくの心をさらっていく。
「行かないで、こんなふうに置いてかないで」と言いながら逝ってしまった。ジョン・サイクスは逝ってしまった。