前回、りんご娘について書きながら、ずっと以前に津軽を旅したことを思い出していた。
青森は、2年続けて訪れた。最初の年は欲張って、大間、仏ヶ浦、恐山などを見て回った。しかし、楽しみにしていた弘前城の桜はすでに終わっており、悔しくて翌年はそれだけを目的に、満開の桜だけを目的に、弘前以外はどこにも寄らない旅を計画した。
見頃予想はずばりと当たり、昼も夜もさくら祭りを堪能した。お城以外もあちこち歩いた。貸店舗の貼り紙も目立ったが、小さなダンススクールが妙に多い街だった。あれがりんご娘らの活動を支える下地となっていたのだろうと今は思う。
常呂がカーリングの町であるように、弘前はダンスの街。若い子たちはそれで身を立て、あるいは街を支え、あるいは街を出ていくことを夢見ている。ちがうか。ちがうな。弘前といえばりんごか、やはり。りんごジュースしかない自販機あったし。
他には成人映画を上映している映画館があり、その正面で女子高生たちが自転車にまたがったまま話していたのが印象に残っている。また、ジョッパルという名の大きな商業施設もあった。少なからぬテナントが撤退していたようで、妙にスカスカしていた。その足で、イトーヨーカドーにも寄った。このすべてが、今はもうなくなっているらしい。
それはなくなっているだろう。そもそもぼくが弘前を訪れたのは2008年と2009年のことである。ヨーカドーについていえば、ぼくの街からも今年消えた。次はライフかサミットが来てくれたらいいなぁと個人的には思っている。
というわけで冒頭の写真は、これを見れば大体のことは解決するとりんご娘が歌う岩木山。大事なお山であることは、三味線抱えた松村和子が「帰ってこいよ」と歌った時から、関西人のぼくにだってわかっている。拝めてえがった。