近場を行き来している分には気にしなくてもすむのだが、厳密にいうと上野東京ライン、もしくは湘南新宿ライン、ざっくりいうとJR東海道線。これをふだん利用しているぼくにとって、保土ケ谷というのはとんとなじみのない駅だ。同じ横須賀線でも東戸塚は、韓国語教室のおかげで今やすっかり慣れ親しんでしまったが、ううむ、保土ケ谷とな。
初めてその名を聞いたのは、まだ関西に住んでいた高3の夏だった。横浜土産に崎陽軒のシウマイをいただいた。高校時代に転校していった友だちを訪ねた先が保土ケ谷だったと、1コ上の女子大生は言うのであった。ぐふふ。これ以上の情報は、今回ここでは必要ない。
次に保土ケ谷の名が浮上するのは、水島新司の「ドカベン」においてである。主人公である山田らの明訓高校、彼らの試合の舞台が多くの場合、保土ケ谷球場であった。神奈川県高校野球の聖地、日本一有名な地方球場ともいうそうだ。
脱線を常とするぼくが、ここでどう逸れていくかというと、水島新司である。彼を有名にしたのは、70年に少年サンデーで連載が始まった「男どアホウ甲子園」ということになっているが、それ以前に貸本屋で、ぼくはそれと知らず彼の作品を読んでいた。ギャグマンガ「キー太郎」シリーズだ。
小学生の頃、近所には3軒の本屋があった。駅前の大きな書店、市場入り口の配達がメインだったらしい小さな店、そして最も近所にあったのが、夏は花火も売るような昔ながらの本屋。ここが貸本も扱っていた。「忍者武芸長」もここで借りた。あいや、話が逸れすぎた。
こちらに越して東海道線を利用するようになっても、保土ケ谷を意識することはほとんどなかった。たとえば同様に東海道線が通過していく東戸塚は、駅周辺とそこに至るまでの風景がはっきりちがう。しかし、保土ケ谷にはそのような差がない。駅周辺が目立っていない。ホームが見えない側にいると、まったく気づかぬうちに通り過ぎてしまうのだった。
そんな保土ケ谷。それが今なぜここで保土ケ谷なのか。
実は先日、韓国語教室のため東戸塚に赴くに際し、戸塚で横須賀線に乗り換えねばならないところ、うっかり湘南新宿ラインに乗ってしまったのだった。だってなー、東海道線で2番線に着いて、ホーム反対の1番線で横須賀線に乗り換えるというのが常なんだで。1番線で待ってたんだで。
したらば、次に来たのは湘南新宿ラインだったと。ぼくとしては、1番線に来るのは何だろうと東戸塚には停まるもんだと思っていた。ところが乗った後になって初めて聞いた。「次は横浜」のアナウンス。えー、聞いてないよ。先に言ってよ。おこぷんだよ。戸塚、なんて不親切な駅なんだ。
だもんで、横浜から横須賀線で引き返すはめに。すると最初に停まるのが保土ケ谷だ。初めて停まった。ちょっと感激……するわけない。ぼかぁ、遅刻しそうになってるんだで。というか、遅刻決定なんだで。初体験の保土ケ谷を、しみじみ感じ入ってる余裕なんかあるわけない。でも知っている。何があるのか、保土ケ谷に。保土ケ谷球場があるんだってば。