シニアが職場を去るその時

駐輪場勤務4年めにして、ぼくは古い方から数えて3番めの人になっていた。これってもしかして、今やベテランの域にあるということだろうか。

まー、一通りのトラブルは経験してきたし、教えられることより教えることの方が多くなって久しい。なにより毎日どぎまぎすることもなく、淡々と業務をこなしている。というか、むしろ楽しく過ごしている。

この間、何人かの先輩が辞めていくのを見てきた。定年は一応70歳ということになっているが、健康状態などにより最長80歳まで働くことができる職場だ。ぼくのこの4年間では、80まで勤めることがことができたのはひとりだけだった。

足腰丈夫、とても元気な人だった。すぐには後任が決まらなかったので、2ヶ月近く余計に働き、なおもその後、他の駐輪場で働き始めたという猛者だった。なぜかぼくは可愛がられて、退職時、逆にお餞別をいただいたりした。

80直前で肩を叩かれた人は、その前年あたりから、確かにミスが目立っていた。誰でもしがちな数字の書きまちがいのたぐいだが、何度か繰り返した時に、そろそろ潮時かなと淋しそうに言っていた。

体調を崩して去っていった人もいた。歩行が困難になりタクシーで通うようになっていたが、そんなであるから場内の見回りもできない。ただ座っているだけの人になってしまった。それでも会社は、休んでばかりになった彼が自ら退職を申し出るまで2週間ほど待っていた。

同様に足腰がおぼつかなくなっただけでなく、すべての動きが緩慢、聴力も衰え、接客に支障をきたすようになった人もいた。ただし本人にはその自覚なく、定年まではあと4年あると言って周囲を驚かせたものだった。その4年を残し、きっちり解雇されてしまったが。

場内見回り中に転んで頭を打ち、そのまま退職していった人もいた。この人も80までは3年ほど残していた。熱中症らしき状態を呈した後、もう辞めさせると家族が言ってきた人もいた。そんなこんな、まー、だいたい高齢者らしい問題で幾人かは辞めていく。辞めざるをえなくなっていく。

傍で見ていて思うのは、まず高齢者は足の痛みを訴える。動くのを嫌がるようになってくる。耳がだんだん遠くなる。相手が何を言っても聞き返す。同じことを何度も言わせる。聞こえたふりをしたりする。そしてわかったふりをする。

だけでなく、本人自ら同じ話を何度もする。それ昨日も言うてたやんどころではない。今した話を繰り返す。そして怒りの沸点が低くなる。思い出してはまた怒る。怒る必要のないところでも怒る。しまいにはお客さん相手に説教までする。

性格にもよろうが、こうしてシニアはポンコツになっていくようである。この職場に入った時点でみなポンコツだという意見もあるが、人はこんなふうに衰え、こんなふうに退場していくのであるなぁと思うわけだ。

こうした語尾が付いた場合、鑑賞の手引きには「軽い詠嘆」だとか書かれていたのを思い出す。あれは高校での古文の授業だったっけ。実に今、ぼくは他人ごとではない老いを嘆いているのだ。

まだ今はいい。だが、明日は我が身だ。ああなる前に退かなければと思う。一人横綱だろうと、引き際を見誤っていはいかんと思う。照ノ富士は大好きだったが、最後の数場所は見ているのがつらかった。なんの話だ。