8つ歳の離れた妹がいることは以前に書いた。幼かったその妹を、いたく可愛がってくれる人が近所に住んでいた。桜橋だとかのバロンだとかでナンバーワンだったとかいうホステスさん。
だとか、だとかって、なんだそれ。まー、半世紀以上前の聞き覚え。いずれにせよ、中学生だったぼくには、ちょっとドキドキするようなきれいな人。この場合、女性と書いて「ひと」と読ませてもいい感じ。
彼女はやがて妹だけではなく母親とも懇意になり、幼稚園の行事などの際、母の代わりに出席するまでになっていた。そんな彼女が読み終えた漫画雑誌が、母のもとへと回ってきた。ぼくにかこつけて「忍者武芸帳」を読んだり、「ガロ」を購読させたり、思えばけっこうな漫画好きであったようだ。この母は。
こうして母が読み始めた少女漫画誌を、ぼくもふと手にとってみた。「けっ」とは全然思わなかった。むしろ夢中になっていた。そこには少年漫画よりずっと深い世界が開けていた。後に「花の24年組」と呼ばれる一群によって、少女漫画に革新がもたらされた時代だった。特に惹かれたのは大島弓子。絵はけっして好みではなかったが、多くの場合回想で終わる作品の余韻がたまらなく好きだった。ちなみに母は青池保子派だった。
大島弓子の追っかけがこうして始まった。彼女の作品だけが目当てだったので、今となっては多くの誌名が定かでないが、「別冊少女コミック」と「LaLa」ははっきり覚えている。山岸凉子、萩尾望都、竹宮恵子、和田慎二といった執筆陣を思えば当然だろう。
ぼくは大学生になっていた。その頃は、少女漫画誌は自分で買うもの、少年漫画誌は喫茶店で読むものだった。楽しみにしていた作品は「ドカベン」と「のたり松太郎」。どちらも長すぎて、最後はどうなったのか、今も知らないままでいる。
就職してからも、喫茶店でジャンプや「漫画ゴラク」を読んでいた。友人の家に行くと「GORO」があったのだが、他に読むところがぼくにはなかったので、エッチな漫画だけを読んでいた。「ダミー・オスカー」とか。
近所に貸本屋ができたのは、30前後の頃だった。ジャンプと「コミックモーニング」を借りていたが、数年で店がなくなると、再び漫画は喫茶店で読むものとなった。買うのは丸尾末広とか内田春菊のコミックスが主流。大人になったものである。あと、うんと寡作になった大島弓子。
34で5歳児の父となったしばらく後から、ジャンプを毎週買うようになった。息子は「SLAM DUNK」に大いに影響を受けて育ち、妻は「銀魂」が好きだった。ぼくは映画にまでつきあわされた。息子が家を出た後も、「鬼滅の刃」の連載終了まで購読は続いた。
というわけで、今ぼくは漫画は「コミックシーモア」で読んでいる。お気に入りは「矢野くんの普通の日々」だ。「女の園の星」も悪くない。どちらも舞台は高校で、ぼかぁくすりと笑ったり、胸をきゅんきゅんさせている。前者は今なら2巻まで、無料で読めるんでないかい。