勤務先の最長老は79歳。
しばらく前の西田敏行についで今回の火野正平の死についても、なにがしかの思いを漏らすことだろう。次に顔を合わせるのは週明け。勤務時間が重なるのはわずかな時間だが、そんな会話を交わすことが最近多い。
火野正平。近年の動向についてはほとんど知らないが、訃報に接して真っ先に思ったのは、小鹿みきはコメントを求められたりするのだろうかということだった。古っ。今や誰が小鹿みきを知っているというのだ。ともあれ、そういう話題には事欠かなかったのが火野正平という人だった。
そしてぼくはというと、今朝のマダムとの会話も忘れているくせに、昔のことだけは妙に記憶している奴だ。火野正平が桃井かおりの弟役として出演したドラマのことを、今もはっきり覚えている。「前略おふくろ様」。最も好きなテレビドラマ。井上堯之バンドのサントラも買った。倉本聰の脚本も買った。何度でも言う。大好きだ。
思えば、このドラマの出演者は、ほとんどみんな逝ってしまった。半世紀も前の作品だから無理もない。萩原健一、坂口良子、室田日出男、川谷拓三、小松政夫、梅宮辰夫。残された人を数える方がずっと早い。桃井かおりと丘みつ子。ううーん。
放送開始は、ぼくが大学に入った年の秋。この頃、我が家は父親の不祥事によって一家離散、ほどなくぼくは一人暮らしを始める。そんななかで見たドラマ。萩原健一演じる主人公サブや、室田日出男演じる半妻の、それぞれの母親に対する思いにぐっときた。
似たような思いは、今もぼくの根底にずっとある。それは母親に対してだけではない。妻にも、世代を同じくする誰にでも。男女の別も、もはや問わない。母にも、妻にも、誰にでも、若く輝く時代があったこと。それをぼくは思っている。それがぼくに「ついこの間まで高校生だった」を書かせた。それでぼくは「こんにちは、私のお母さん」を観て泣いた。
以下、蛇足ながら。
「前略おふくろ様」のサントラと前後して、岸部修三は井上堯之バンドを抜けたようだ。沢田研二のバックで、「フッ」とか「ハッ」とか言っていた彼が好きだった。74年の「愛の逃亡者」。その後、サリーと呼ばれた長身のベースマンは役者に転じ、一徳を名乗ってからの好演は誰もが知るところとなった。長く演じていてほしい。