ついこの間まで高校生だった

20代の半ばまで確かにこう思っていた。
自分はついこの間まで高校生だったのだと。
20代後半でもまだ思っていた。
ついこの間まで高校生だと思っていたのはついこの間だと。
青春時代というものに、ぼくはかなり未練がましかったようだ。

いつの頃からか、ニール・ヤングの「テル・ミー・ホワイ」を聴くと、ぼくの高校3年間はこの1曲に凝縮されているのではないかという気がしている。
などといいつつ、同時期に麻丘めぐみのデビュー・アルバムもこっそり聴いてはいた。
曲間ごとにおしゃべりがあって、あまりの恥ずかしさに汗が出た。あれは最後まで聴き通すことができたのだろうか。クラスメートの多くが天地真理だ南沙織だ、早乙女愛だ力石だと騒いでいたあの頃。

ともあれ、当時最もギターの練習をした曲が「テルミー・ホワイ」だったことはまちがいない。その次ぐらいが、サンタナの「君に捧げるサンバ」、その最初だけ。本当はデイヴ・ギルモアになりたかったのだが、これはそもそも無理難題。「エコーズ」とか。いや、もう、あの間と音色には持っていかれた。目的語がここにはないが、なにを持っていかれたかは推して知るべし。ギルモアだと、あと「タイム」。もう根こそぎ。

なんの話だかわからなくなってきたので、ちがう方向から攻めてみる。
ぼくは今、駅前の駐輪場で1日5時間、週に3日働いている。相手をする多くに、下校時の高校生たちがいる。1年たち2年たちして気がついた。ぼくにとって彼らが、好ましい存在、応援すべき存在になっていたことに。これはもう立派なナニの心境ではあるまいか。数年前から妙に眉毛が伸びるようになってきた。耳毛もしかり。そして高校生が愛おしい。確実に進んでいるのではないか。ジジイ化が。

そんな折も折の一昨日、息子の嫁の懐妊を知らされる。や。名実ともに立派なグランパ。なんと呼ばそう。嫁に似た女の子だったらいいなぁ。なんてことはまだ内緒。
そんなことより、もっとずっと長らく強く思っていることがぼくにはある。
押しも押されぬジジババになったぼくらのことを、若い人たちの多くはそもそも視野に入れていない。ずっとジジババだと思っている。その若かりし日など想像の埒外だ。かつてぼくがそうだったように。

で。
というか、だからというか。

ぼくはまず身近なところから始めてみる。友人の孫のところに行く。そして言うのだ。きみのおじいちゃん、あるいはおばあちゃんは今ではあんなだけど、それはそれはキラキラ素敵な人だったんだぜと。おバカな14歳だったこと、多感な16歳だったこと、柔らかな髪と透き通る肌を持つ、恋する夢見る少年少女だったこと、そんな時代を確かに過ごしてきたんだぞと、ぼくは語って歩きたい。

友人知人周辺が終わったら、見知らぬ人の往年まで語る。見てきたようなことを言う。真実ではないかもしれないが、まんざらの嘘でもない。同世代ならではの共通項の語り部だ。ジジババの青臭い逸話を子や孫世代に残す、そんな仕事をしてみたい。ジジババだってついこの間まで高校生だったんだぞとホラ吹く仕事。