最も記憶に残っている夏は、15歳、高校1年の時である。
その夏休み、ぼくらラグビー部は1年生たった3人で練習を続けていた。
12人いた3年生が抜けた後、あまりの部員の少なさに嫌気がさしたのだろう、
4人の2年生は練習に出てこなくなってしまったのだった。
おまえらこの夏の間に部員集めとけ、そんで2学期になったら練習再開しよ。
夏休みの第1週が終わる頃、新キャプテンはそう言い放ち、
1年生3人はといえば、どないする、家いてもすることないし、
ほな練習しよか、そうしよか。顧問だとか監督者だとか考慮の埒外。
15人でやるスポーツに部員3人。
ラグビーの練習というより、ただの体力養成。
走り、キックし、タックルなどし、また走り。
お盆の頃だったろうか、ひとりが泊まりがけで釣りに行くことになった。
残されたふたり、それでもまだ練習をやめようとはせず、
校外に設定されたマラソンコースに走りに出た。
いやいやそれは無謀でしょとは今だから言えることで、
無知蒙昧な15歳はふたりして復路できっちりぶっ倒れた。
つまらぬ話にうひゃうひゃと笑いながら、そこから先は歩いて帰った。
やっと戻った校庭には人影なく、光化学スモッグが出ているということだった。
そんな夏。15の夏。暑い夏。
それでも、だ。
それでも気温はせいぜい32度だった。
しかるに今や日本の夏は何度であるか。
36度とか当たり前でしょ。場所によっちゃ38度とか40度とかでしょ。
職業柄、うちのマダムは高齢者と接する機会が多いのだが、
彼らの少なからぬ人たちが、暑さに強い、苦にならないことに胸を張り、
エアコンの使用をよしとしないのだそうだ。
往年の15歳も無謀だったが、現在の高齢者もなんつうか。
それは暑さに強いのではなく、暑さを感じなくなっているだけだと思うぞ。
と、父親が生きていたら言ってやるんだが。
用もないのに昼日中から出歩くなと。
当たり前にエアコン入れろと。
喉渇いた気がしなくても水飲んどけと。
というわけで、暑中お見舞い申し上げます。
熱中症にどうぞお気をつけください。