この1週間、ひたすらキン坊のお宮参りフォトブック制作にいそしんでいた。こういうことを息子夫婦は丸投げで、前に京都で撮った結婚写真、これもデータ渡しだったのだが、結局ぼくがフォトブックに仕立て上げることになったのだった。
今回も、この写真データをどうするんだと訊くと、心の豊かさとは何かと鬼に尋ねられた老婆のような口調で「どうすんだろうね」と息子は答えた。レミさんは、と時に彼はさんづけで自分の妻を呼ぶのだが、「レミさんは撮ってもらっただけで満足している」と言うのだ。
撮っただけで気がすんで、写ったものを見もしないことはぼくにもあるが、ぼくの場合の向かいの犬や海岸の猫とちがって、きみらは自分の子供のことであるぞ、プロに撮ってもらったんだぞ、お宮参りの記念だぞ。ここはやはり、ぼくがなんとかせねばなるまい。まー、嫌いではない、こういうことは。というか、むしろ好きだ。得意といってもいい。任せなさい。
思えば、4年生の時にクラスで勝手に新聞部を作った。一緒に新聞を作ったアベ君は、「少年ヨンデー」という漫画誌を自分ひとりで作っていた。連載漫画のほとんどは、次号で「○○先生、病気のためお休みします」となっていたが。それでも、大いに刺激を受けた。絵だの文章だのレイアウトだのを、考える時間が楽しかった。
というわけで、孫のフォトブックなんて望むところだ。まず似たり寄ったりの写真の選別作業。ピックアップしたものを3.5×5センチ程度のサイズでプリント。それをノートに貼っていく。見開きに1枚のもあれば、1ページに4、5枚、あるいはもっと集中させることもある。
どの写真をどんな順番で使っていくかは、紙の上で考える。どんなサイズで、どんなレイアウトにするかは頭の中で考える。このレイアウトは夢にまで見たりする。1週間に2度も見た。本当に夢だったのか、寝ないで考えていたのかは定かでない。根を詰めるたちではある。
そんなこんなで夢中になっているところへ、またしても嫁が孫を連れてやって来る。例によって、息子はジムに行ってるんだと。息子宅と我が家とは、ベビーカーを押しての散歩にはほどよい距離なのかもしれないが。しかしだ。忌避したい場所ではないのか、旦那の実家は。嫌いじゃないのか、義理の両親は。
嫁に好かれて、頻繁に孫の顔見せてもらって、ぼかぁ前世で孝行してたんだろかとさえ思う。まー、現世ではしてないが。そりゃあ、張り切ってフォトブック作る道理でさ。