息子夫婦がともに出勤となる日曜日。孫のお守は祖父母の役目。
まず母親の出勤に際して、ひとしきり大泣きする孫。出かける少し前から、気配でそれと察し泣き始めるのだとか。
父親が出勤するしばらく前に祖父母到着。これを笑顔で迎えはするも、父親の動きに孫は再び火がついたように泣く。後ろ髪引かれるようにして父親出勤。切ないのうと祖父母は思うが、いかんともしがたく。
ところが、延々と泣き続けるかと思われた孫は、意外とあっさり気を取り直し、けっこう機嫌よく窓から外を見ていたりする。そのうち両親のことも忘れたかのように、祖父母が用意したおもちゃともいえない遊び道具に夢中になる。うーん、手のかからないお坊ちゃまだこと。
夕刻、母親が帰宅した頃には遊び疲れて、祖母に抱かれて眠っていたりする。顛末を知った父親からは「すげー」とライン。父親は市内、母親は隣街という職住接近ながら、子供を残して仕事に出るのは、さぞかし気が気ではないことだろう。
実際、保育園からは熱を出しているので早々に迎えに来いとの連絡がしばしばある。そして、熱を出した翌日は保育園には連れていけない。どうせよというのだろう。仕事は二の次、てか辞めれ、でなきゃ頼れる人を身近に置け。そういうことなのだろうか。
子育て環境についてもいろいろ感じるところはあるが、それ以上に思うのは、ひとりの赤子が育っていくのにどれだけの愛情が注がれているのだろうということだ。そして、すっかり忘れていたそのことを、今になって思い出した祖父はこうも思うのだ。注がれてきた愛情は注ぎ返さねばと。
「うちの孫が一番可愛い」と大書されたTシャツの広告が、祖父のPCには最近よく出る。はははと小バカにして見ていたそれを、悪くないなと思い始めているのに気づく。出来心とはいえこれをポチってしまうのは、それは愛ではたぶんない。