半世紀前の夏休みを思うのは

夏休みに入り我が職場、駐輪場から高校生の姿が消えた。といっても、部活だって補習だってあるようで、まったく消えたわけではないのだが、午後3時4時に続々と帰って来る姿が見られなくなったのは味気ないというか、待ち人来たらずというか、なんとなく淋しいことではある。

などと吐露するぐらいであるから、この仕事に就いて以来、身近に高校生と接するようになって以来、ぼくは彼らをかなり好ましく思っている。騒ぎながら帰って来る姿に「馬鹿でー」と胸の内でつぶやきながら微笑ましくも感じている。

友だち同士ではひどい言葉づかいをしているくせに、契約更新手続き時にこちらがなにを要求しなにを差し出しても「ありがとうございます」と返すのには、なんなのきみたちと内心あきれながらも、礼儀正しくてよろしい素直でよろしいと思っている。

一言でいうと好ましいと思っている。頑張れ、と思っている。楽しめ、と思っている。明るい未来が広がりますように、と思っている。応援している。全然一言でいうてないやん。

まー、そんなこんなで、彼らの年頃に自分はどうしていたっけと、しばしば思い返してしまう今日この頃。というのは嘘で、昨日今日の話ではなく、去年もきっとその前も、思い返してばかりいる。昨今といった方がよさそうだ。まったくジサマになったものだとも思う。死期が近いのかとも思う。

高1の夏は、ラグビーの練習に明け暮れた。部員不足に嫌気がさした2年生が出てこなくなっても、たった3人の1年生だけで続けていた。ラグビーを。15人でやるスポーツを。3人で。虫と呼ばれていたものだ。練習の。

高2の夏も、ラグビーばかりやっていた。やはり部員不足で、とある大会の棄権を告げに出向いたら、ただでさえ出場校が少ないのに何事かと認められず、急遽助っ人を呼び集めるはめに。すっかり棄権する気で、エースの12番が旅行に行ってしまったというのに。ちなみに、ぼくは8番だった。

高3の夏。受験勉強はまだ手つかず、ギターと曲作りに明け暮れていた。憧れたのは友部正人、西岡恭蔵、中山ラビ。夏期講習のさなか、ラジオ番組が日本のロックを特集していた。翌日の教室は四人囃子の話題で持ちきりだった。

とまぁ、そんな高校時代の夏休み。会えずに切なくもどかしい思いをした子がいたっけな、いたような気もするな。そのあたりのことは、語ると長くなりそうなのでまたの機会に。