私的音楽雑誌変遷記 第1回

「別冊近代映画」という雑誌のグループサウンズ特集号を買ったのは、当時5年生だったまるこめ少年である。正確には「グループ・サウンド特集号」。これをば、しかし、初めて買った音楽雑誌という気はもちろんない。ぼくが求めたのも、実際そこにあったのも、音楽情報ではなく芸能情報であったから。

4年後、洋楽ヒットチャートに目覚め、真に音楽情報を欲して買ったのが「ミュージック・ライフ」。表紙はGFRのマーク・ファーナー、特集はシカゴ。この号を手に入れたのと、シカゴの来日記念盤にハマったのはどちらが先だったろう。

シカゴといえばそれまでの3作は2枚組ばかりで、中学生にはなかなか手が出せるものではなかった。来日記念のベストアルバム、1枚モノの『栄光のシカゴ』はどれほどありがたかったことか。ぼくにはこの時期のシカゴが最もスリリングで、今も「イントロダクション」は大好きだ。

「ミュージック・ライフ」は高1の冬まで、ほとんど毎号のように読んでいた気がする。2枚組に臆せず『4ウェイ・ストリート』を買ったのもこの雑誌の影響だったし、付録のメラニーのポスターは長らく部屋に飾られた。お便りコーナーにあった「友人、小野に気をつけろ」は大いに気に入り、いつまでも口に、もとい文字にしていたものだった。

「ポップ・ジェネレーションのために」というキャッチコピーが「ロック・ジェネレーションのために」に変わる前後、ぼくはこの雑誌を卒業した。そこにあるのが音楽ではなくやはり芸能であったことに気づいたのもあるが、洋楽から邦楽に関心が移っていたのがより大きい原因だ。

親友の部屋で初めて見た「ガッツ」は、ギターの奏法や譜面に割かれたページが多く、自作曲の投稿コーナーまであった。驚いたことに、そこに投稿する譜面を友は引き出しから出して見せ、アルペジオならこれを参考にとタブ譜の載ったバックナンバーまで貸してくれたのだった。

譜面以上にコードや奏法を知りたくて、「ガッツ」から「ヤング・ギター」に移行した。今やまったく別の顔を持ちなお存続するこの雑誌、当時は古井戸やケメが大きく扱われていた。しばらく季刊だったような気もするし、記事が間に合わなかったのかそもそもなかったのか、妙に白いページがあったのを覚えている。「臭い本」と加川良はこの雑誌のことを歌っていた。

ギターがらみでこれらの雑誌をしばらく買ったり借りたりしつつ、音楽めあてで買い求めていたのは「新譜ジャーナル」だった。中山ラビ、友部正人が取り上げられることが多かったのがうれしかった。アマチュア時代のスモーキー・メディスンも、友川かずきのデビューも、ザリバ時代の矢野顕子もここで知った。

一方で、ニール・ヤングやピンク・フロイドなどの洋楽もしっかり聴いてはいた。それらの情報はどこでどう得ていたかというと。