洋服、というのは近々必要になりそうな礼服のことだったのだが、それを買いに行くというレミさんに同行して以来そろそろ2週間、こんなにも長くキン坊に会えないのはついぞなかったことである、体調でも悪いんだろうか、なにかあったんだろうか、大丈夫だろうかと妻がおろおろ言い始めたまさにその日。
いきなり息子がキン坊を抱いて現れた。長らく暮らした実家であるし、遠慮も連絡も、さらには音もなく息子はやって来る。ベルぐらい鳴らせよと思ったりもするのだが、勝手に鍵開け、勝手にズカズカ入ってくる。「ぼく来たよ」などと幼児の声を真似ながら。
1歳半になるキン坊は語彙も増え、というか我々に通じないことばを「語」といっていいものか、とにかくよく喋るようになっている。あれこれ指さしては「あ、〇〇だ」、「あ、※※だ」という具合。その「〇〇」だの「※※」だのを、聞き取ることが誰にもできない。通じようが通じまいが、本人が機嫌よく喋っているんだから、まー、よかろう。なにより「ジージ」ともう言えるし。
翌日、今度はレミさんがキン坊を連れてやって来た。なんだ、どうしたんだ、きみたち。というのは、日曜日はレミさん出勤で保育園も休みなので息子ワンオペ、翌祝日は息子出勤で保育園も休みなのでレミさんワンオペ。子育てワンオペつうのは大変だし、飽きるし、煮詰まるし。気安い実家が近くにあるのなら、気分転換も兼ねたいのであろ。祖父母も喜ばせたいのであろ。
しかも、この日はオマケつき。伺ってもいいですかという家族グループLINEを職場で見たぼくは、今日は寄り道せずに速攻で帰ろうと思っていた。ところが、なんとその前に、ベビーカーを押したレミさんが職場、すなわち駅反対側の駐輪場に、にこにこ手を振り現れたのだった。
引継ぎの時間近く、出勤してきたばかりの同僚にぼくは言った。「娘と孫です」。正確には息子の嫁だし、孫といっても血のつながりはないのだが、紹介しうるすべての人に誇らしく、胸を張ってぼくは言うのだ。「言いたい」ではなく、実際言うのだ。レミさんとキン坊は、ぼくの娘と孫だと。自慢の娘と孫であると。
そして週末。キン坊連れて、今度は夫婦そろって来るという。その日ぼくは韓国語教室。終わったらその足で横浜よさこい。馬車道での流し踊り、「疾風乱舞」と「REIKA組」を見て取って返す。慌ただしくも楽しい一日になりそうだが、まだまだ楽しい時間は使い果たせそうもない。