帰れない二人事件

それは高2、2学期最後の日。
いつものようにヒロタと一緒に帰り支度を始め、クニタンにも帰ろうぜと声をかけた。ともにラグビー部のメンバーで、部活があろうとなかろうと、帰る時はたいてい駅までつるんで歩いていた。

ところがその日、なにやら沈んだ面持ちでクニタンが言うには「なんか俺、帰りたくないねん」。これにはぼくもヒロタも俄然色めき立った。クニタンが妙なことを言っている。なんだこれは。浮いた話か。そうなのか。

ひょっとして「帰れない二人」ではないかとヒロタが言った。それは「心もよう」のB面として発売されていた井上陽水の曲のタイトルで、ちょっとした流行語となっていた。放課後、別れがたくてぐずぐずと教室に残っている男女のことを、ぼくらはそう呼んでいたのだ。

ぼくは「シノダさん可愛いよな」、「カガッチョ大好きやわ」などと口走っては、ヒロタから「また始まった」、「もうだまされへんぞ」と吐き捨てられていたものだったが、クニタンはといえば常にそんなぼくらをニヤニヤ眺めているだけだった。そのクニタンが。なんやて? 帰りたくないやて?

さっそくヒロタはその相手を探し始めた。今まだ教室に残っている者の中に、その相手はいるにちがいないというのが彼の読み。情けないことに、ぼくにはそうした推理も働かなければ、行動力もまるでなかった。ヒロタ、そういう才能はあったんや。しかも楽しげ。燃えてますやん。

かくして終業式後の教室に残ったのは、心ここにあらずなクニタン、おもしろがるだけでなすすべないぼく、無駄話で盛り上がる複数の女子グループ、そしてその間をちょこまか聞き込みに走るヒロタ。

やがて彼はつかんできた。どうやらクニタンのお相手はカナちゃんらしいと。ホンマかいな。そんな素振り、全然クニタン見せへんかったで。胸に秘めた恋ゆうやつ? カナちゃんもそうやったん?

カナちゃんゆうたら、ぼく仲よしやで。文化祭で一緒に踊ったで。聴き飽きたウィッシュの「御案内」、彼女に250円で売ったったで。ええ子や思うわ。ぼくも好っきゃわ。まー、クニタンとは意味ちゃうけど。ははー。クニタンとカナちゃんがなー。

なるほど、そんな目で見ると、いつものメンバーの輪から外れて、珍しくカナちゃんもひとりぽつねんとしている。これはもうまちがいないと思われた。思われたので、ヒロタとぼくはクニタンを残して先に帰った。

その後、どんな展開があったのかは知らない。つきあっているようないないような、まー、でもなにかある的な感じだったような気もするし、そういう機微にぼくが疎くて気づけなかっただけのような気もする。

当時のぼくは惚れっぽく、常に誰かに恋していたが、こがれるだけでそこから先の展開というものがまったくなかった。誰かを好きになっても、その先がない。というか、休み時間や放課後に話せるだけで満足して、約束して休日に会うなど思いのほか。そら、横からかっさらわれるはずですわ。まー、それは別の話。

というわけで、毎年この時期になると思い出す「帰れない二人事件」。
卒業後、ヒロタにもクニタンにも1度しか会っていないのに、カナちゃんとだけは4回会った。それも、まー、別の話。