血なんて誰ともつながってないけれど

ぼくをいきなり父親にした往年の5歳児が、この度めでたく父親とあいなった。
そしてすっかり見事に、まんまときっちり、母親ともども馬鹿と化した。親馬鹿というやつに。グランマも同様だ。

そんな中ひとりぼくは、やや冷静を保っているような気がしている。他のどの赤ちゃんよりもうちの子が一番可愛い、とはぼくは思っていないようである。等しく赤ちゃんは可愛いものであろ、ぐらいにしかたぶん思っていない。

他の3人が目の中に入れても痛くないと本気でいうのに対し、いやいや目の中には入らんだろうと心の中では思っている。そこはやはり血のつながりがないからだろうか。昨日やっと命名されたこの幼子がぼくの姓を継いでいくのかと思うと、とても不思議な気がするのだった。

そんなぼくが最も忌み嫌うニュースは、同居する女性の子供の命を、内縁の夫が奪ってしまうという類いのものだ。似たような事件に事欠くことがなさすぎてうんざりしている。熊なん? 獣なん? と問い詰めたい。子連れの雌熊とまぐわうためにまず子を殺しにかかる雄熊と、あんたらなんの違いがあるん? 

男だけの問題でもなさそうだ。黙認している母がいて、一緒になって子を追い詰める母がいて、それでも子は親のことが好きで、叱られてばかりいる自分が悪いと思っていたり、ほめられたくて、優しくされたくて。
そんな報道に接するたびに、ぼくは涙目になっている。

なさぬ仲でもそんな奴ばっかじゃないでとぼくは言いたい。ウチのは立派に育ったでと胸張りたい。愛し愛される人とも出会えたで。その結晶にも恵まれたで。継いでいくのは姓なんかじゃなくて全然いい。つないでいくのは愛でいい。愛をつないでいけばいい。

血なんて誰ともつながっていない。
けれども、マダムも、息子も、その嫁も、そして新たにやってきた孫も。
声を大にして言おう。
愛してないはずないやん。