謹賀新年2025

元旦。曜日の感覚、ちょっと希薄。
翌日は仕事、3日は中島みゆきの劇場版「歌会」に行くってんで、この日のうちに初詣でをすませておく。ほど近い小さな神社が毎年恒例。

前に並んでいた家族、というか一族、10名の団体様。ひとりずつとか、ふたり並んでとかではなく、全員が団子になって小さな社を取り囲む姿が異様。どこに行っても、たとえばフードコートの窓口などでもこうなのか。

次に並んだ家族の旦那はというと、ポケットを探るふりはするものの、賽銭箱には何も入れない。こんな旦那は嫌だと、妻は思ったりしないのだろうか。だったらいっそ、ふりをするのもやめた方が潔い。さらに、ホームランでも狙っているかのような勢いで鐘を撞く。およそ風情のない音が近隣一帯に響く。きみは来年から来なくてよろしい。

そんな合間に、孫の近影をLINEで受け取る。妙に知的な顔で写っている。時にギャン泣きする赤子とは思えない。今にも系統立った理論的なことを喋り出しそうな雰囲気だ。実際はまだ「あー」とか「ふー」ぐらいしか発することができないのだが。あと、「へむー」と言い始めたら、それはおねむの合図だ。

帰りは、引き寄せられるようにイオンへ。神社に近く、それが元旦から営業してるとあっては、寄らずに帰る方が逆に不自然。浮かれてますから。ええ、浮かれてますとも。浮かれてるので、マダムはチチヤスグッズのガチャを回すし、ぼくはしょーもないクレーンゲームに突っ込むし。大吉が取れなかったその戦果。

夜になって、島の子たちの新年の挨拶を聞いてやろうじゃないかとにわかに思い立つ。半年ぶりの「どうぶつの森」。広場に行くと、やはりみんな浮かれているのか、3人が並んで歌っていた。

その後はみんなの家を訪ねて回る。

流れ星にこめる願いは、初詣と同じ。
家内安全、全世界平和、そしてキン坊がすくすく元気に育ちますように。