なるほど、没後30年

テレビ、雑誌等で相次いで特集が組まれるのを訝しんでみていたら、なるほど、没後30年であった。テレサ・テンの。あのアジアの歌姫の。

ザ・スミスやREMを最後にロックから離れ始めた80年代後半のぼくは、ワールド・ミュージック、当時はエスノ・ポップとも呼ばれていた世界各地の音楽を漫遊していた。

イスラエルのオフラ・ハザ、在英インド人のシーラ・チャンドラ、在仏アルジェリア人バンドのカルト・ド・セジュール、インドネシアのイチェとかヘティ、香港の徐小鳳とか陳慧嫻とか、あと名前も読めない(なんだそれは)タイの人たちとか。

そんななかで、台湾にはかなりの長期にわたって居着いていた。暮らしたのではなく、長らく聴き込んだの意であるが、ぼくを虜にしたのは、潘越雲、齊豫、蔡幸娟、于台煙といった女性歌手だった。読みはこの際どうでもいい。パンとかチーとかツァイとか、まーそんな人たち。その流れで当然、鄧麗君にもたどり着く。テレサ・テン、とこれは読む。

学生時代、第2外国語に中国語を選択していた。担当教官が口癖のように言っていたのは、世界で最も発音の美しい言語は中国語であるということだった。ぴんとこなかったその教えが、鄧麗君の83年の作品『淡淡幽情』を聴いたとき、初めてすとんと腑に落ちた。ここでの鄧麗君の歌は、息を呑むほど美しかった。歌のうまさは言わずもがな、言葉自体の美しさがあってこその、それは歌の響きであった。

『淡淡幽情』。ここで歌われるのは、唐や宋の時代の古詩である。言葉がよりゆったり優雅に聞こえるのはそのせいかもしれない。他の歌手が歌っているのを見ても、どれも発音が素晴らしい。古きよき中国語の発音というやつなのだろうか。

これを契機に、日本語で歌われる彼女の曲も聴くようにはなった。なったがしかし、旋律はともかく詞がダメだ。ぼくはこの詞を受けつけない。女はこうであってほしいという男の願望が聞くに耐えない。思えば、ピンからトリオ、まートリオでも兄弟でもいいのだが、その大ヒット曲「女の道」がどうにも気持ち悪くてしかたなかった。

こうした曲、鄧麗君の場合は「時の流れに身をまかせ」がそれを代表するわけだが、こうした曲のヒットはいったい誰に支えられているのだろう。みんな、あの詞が好きなのか。憧れるのか。こうありたいと女の人までもが思うのか。ぼくは不思議でたまらない。

とかいいながら、英亜里の「花の手拍子」は大好きなので、矛盾してると自分でも思う。ちなみに、最も好きな鄧麗君の日本語曲は「別れの予感」だったりする。メロディーの美しさがカバーするところはかくも大きいという話。