1970年。昔語りの第2回。
熱心に聴いていたラジオのリクエスト番組では、ジェリー・ウォレスの「男の世界」がずっと1位に居座っていた。お馬鹿な中学生としては「うーん、マンダム」などとつぶやくことも確かにあったが、好みの曲では全然なかった。
その影で連続2位の記録を作っていたのが、ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」。やっと1位になったと思ったら2日で陥落、その座をマッシュマッカーンの「霧の中の二人」に奪われた。思い出が、常に音楽とともにあるようになったのはこの頃からだ。
2学期が始まって間もなく、例の1コ上の美少女、ヒトミさんということにしておこう、その彼女から5ヶ月ぶりに手紙が届いた。
春に送っていたラブレターの返事は、要約するとこうだった。「あなたの手紙はとても楽しくうれしく読ませてもらいましたが、私はあなたが思っているような女の子ではありません。あなたの気持ちもきっと一時的なもので、とうてい長く続くとは思えません」。
で、5か月後に来た短い手紙が、ぼくには結局こう読めた。「このところあなたにはなんの動きもありませんが、ほらね、やはりその程度の気持ちだったのでしょう」。今ならわかる。ここでどう動くべきなのか。しかし、中2のぼくにはわからない。ひとり悶々とするだけだ。
ここでひとりの男が登場する。ガクという。ラグビー部のチームメイト。これがなんとも早熟で、やはり1コ上のソフトボール部主将、ユウコさんと早くもお近づきになっていた。家に招かれたこともあるという。「もう少しでキスするところだった」などと言ったりもする。早熟やろ、それは。
さらにここでもうひとつ。ユウコさんはソフトボール部。ぼくが首ったけのヒトミさんもソフトボール部。そして、ガクはぼくの思いを知っている。ユウコさんも知っている。かくして、ぼくはガクと共にユウコさん家に招かれる。ユウコさんが提案する。「ヒトミちゃんも呼ぼう」。
こうしてぼくは、ガクからもユウコさんからもそそのかされ、せっつかれ、あれやこれやとセッティングされ、やがてヒトミさんとふたり、肩を並べて歩くようにもなっていた。シルヴィ・バルタンの「悲しみの兵士」だとか、クリスティの「イエロー・リバー」だとかが流行っていた。
そんなある日の夕暮れ、なにかの拍子にぼくははっきり口にした。好きです、と。1コ上だし運動部だし、きっちり敬語で話していた。したらば彼女は体を折るように、楽しそうにくくくと笑った。もう一度言った。やはり、くっくと笑われた。その反応が、ぼくはまったく嫌ではなかった。三島由紀夫が割腹自殺を遂げた日のことである。
知らない人には謎であろう冒頭の画像は、「霧の中の二人」のジャケット。
タイトルには「霧」、メンバーのひとりは坊主、これであと松があれば「松キリ坊主」だと、しょーもない解説がジャケット裏にあったのを覚えている。