私的音楽雑誌変遷記 第2回

高2で同じクラスになった、いつ見てもLPレコードの袋を小脇に抱えていた彼とは、似た者同士、すぐに親しくなった。話すうちに、彼が膨大な量のレコードと音楽雑誌を所有していることがわかった。借りてよく読んだのは「ミュージックライフ」や「ニューミュージックマガジン」の、主にバックナンバー。

後に「ミュージックマガジン」と改名されることになる「ニューミュージックマガジン」は、編集長である中村とうようの癖の強さに辟易することも多かったが、北中正和、小倉エージらが担当するレコード評は楽しみだった。100点満点で点数つける、その基準っていったいなんなん? などと思いながらもけっこう参考にしたものだった。

しかし、高3になるとこの雑誌にも飽きて、では他になにかおもしろい音楽誌はないものかと手にとってみたのが「音楽専科」。プログレ特集号を買ったことは覚えている。フロイドが好成績だった、イエス、ELPとの比較記事をうれしく読んだ。高校時代のぼくは、洋楽といえばピンク・フロイドとニール・ヤングだったのだ。

大学生になって、「ロッキング・オン」を見かけるようになった。まだ隔月刊だったと思う。扱っている書店も限られ、そもそも発売日もはっきりしなかった。というか、予告された日にちゃんと出ていたのかさえ疑わしかった。しかし、手に入りにくいものはなおさらほしくなるものだ。個人的渇望雑誌へと、こうしてなった。

いろいろ新鮮だったのだ。音楽評なのか日記なのかわからない文章。音楽評なんだかアジテーションなんだか釈然としない文章。架空対談なんぞという、こう訊いたらこう答えるであろう、こうであってくれという勝手な願望、予測記事。ミニコミか。ミニコミだったんだろうなぁ。まー、新鮮だった。

そこでは、中学生の頃に音楽雑誌に求めていたような、ミュージシャン各自がどうこうではなく、それを聴いた自分がどうなのかについて多く語られていたように思う。こういうことを自分に語らせずにはおかない作品であったよ、と。そんな形の音楽評。というか、やっぱり自分語り。

数年は熱心に読んでいた。しかし、雑誌の売れ行き、それ以上に、自分が変わった。ロックがおもしろくなくなってきた。この時期、自分にとっての最後のロックバンドとして、ザ・スミスとREMをぼくは挙げていた。80年代半ばのそんな頃。