結局、全国は目指せなかった、誰一人

日体大ハンドボール部で4年連続日本一を達成。そんな経歴を持つ新任体育教師が、高校に進んだぼくの担任だった。初日の自己紹介の後だったか、数名の男子が名を呼ばれ、体育館まで来るようにと告げられた。

誰が誰だかまだ見分けもつかぬなか、熱血体育教師は言った。自分はハンドボールで3年後、全国をめざせるチームを作る。一緒に夢を追わないか。ハンドボールをやってみないか。

言われてみると、呼び出されていたのはいずれも体格よく、上背のある者ばかり。高校でもラグビーを続けるつもりでいたぼくだったが、全国を目指すチームということばにはちょっと惹かれた。即答をためらっていたら、なかで一番の長身が、自分はもうサッカー部に決めているんでと言い放ち風のように立ち去った。

潔いやっちゃなー、というのが第一印象。ちょっとした憧れも、このとき抱いたのかもしれなかった。ぼくはといえば「ラグビー部に入ろうかと思っているんで、ちょっと考えてみます」としか答えることができなかった。

風のようなサッカー部員を次に意識したのは、初めての全校朝礼のときだった。ぼくらが神妙に居並ぶ傍ら、だらしない姿勢で私語を交わし続ける上級生。それを横目に彼はひとりごちていた。「さすが高校やな。誰も先生のハナシ聞いてへん」。

そんなこんなで、高校生活において最初に意識し、その名を覚えたのが彼、キタ君だった。2年になっても同じクラスで、その1学期最後の日、帰りの車窓からぼくは見た。彼が女生徒と二人で駅に向かう姿を。お相手は、同じクラスのテニス部員だった。

2学期、放課後の廊下で、ぼくは彼女に紹介された。いや、紹介とかしなくても、同じクラスなんだから知ってるって。しかし、彼はこう言った。「こいつは俺の子分みたいなもんやから、なんでも言いつけたって」。おいおい。

お洒落な髪形をしたテニス部員は、けらけら笑ってさっそく言った。「鞄、教室に置きっぱなしになってるから取ってきて」。え、なんで。思いながらも、へえへえと取ってきましたよ、ワタシは。

50年以上を経た今も、このテニス部員はキタ君の横にいて、ぼくはといえば青春18きっぷを使って関西からやって来る彼を、今か今かと改札口で待っていたりする。次回も、このキタ君との話をちょっとする。