エポック社の野球盤に夜通し燃える

高校時代に出会ったキタ君について話すふりをしながらも、結局自分語りをしてしまうんかいという第3回。初回はこちら。2回めこちら

一浪の末に晴れてキタ君が大学生になった頃、父親出奔、一家離散という憂き目に遭ったぼくは一人暮らしを始めていた。その顛末はここで軽く触れている。家族的には確かに憂き目なのではあるが、個人的には気ままな生活を謳歌してもいた。

そんなぼくの、3畳と4畳(4畳半ではない)の妙な作り、当然風呂なし、トイレは共同という地域でもまれにみる安アパート。そこにキタ君がたびたびやって来るようになったのは、夜を徹しての音楽談義が楽しかったからでは、実はなかった。夜通しゲームに興じていた。

ぼくらを夢中にさせたのは、エポック社の野球盤。昭和の小学生なら誰もがやったと思われるそれを、引っ越しの際にも捨てることなく、なぜかぼくは持っていた。目ざとくそれを見つけたキタ君、懐かしさが言わせたのだろう、一戦交えようではないかときらきらする目で迫ってきた。今さら? ぼくら、もう19でっせ。

ところが、あにはからんや。やってみたらばすこぶる楽しかった。というか、燃えた。何度も対戦する中で、チームのオーダーまで決めた。お互い、贔屓のミュージシャンで固めた。うちの投手のひとりは、リッチー・ブラックモアだった。なんだそれは。打撃成績表までキタ君は作っていた。

あまりの使いこみの激しさゆえか、ある夜、ゲーム盤が壊れてしまった。しかし、そこで「あ~あ」で終わらなかった。すぐさまふたりでおもちゃ屋に走り、消える魔球が売りの最新版を買ってきた。この情熱はなんだろう。なにがこんなにもふたりを熱くさせたのだろう。バカなの? バカだったの? と今は問いたい。

今回はこの話になるだろうことを察知したキタ君が、昨日LINEで言ってきた。彼がパーフェクトゲームを達成したことを忘れるなと。

忘れていた。そういえば、「マイ・シャローナ」を聴きながらの対戦中、ひどく単調に投げ急ぎ、打ち急ぎしていた記憶がある。あれはきっと曲調のせい。まちがいなくリズムのせい。

ぼくらはもう音楽仲間なのかゲーム仲間なのかわからなくなっていた。どこが音楽仲間だったのかというと、ぼくの自作曲を一緒に録音したこともあったのだ。彼にはリードギターやリズム隊を任せていた。拙い指運びやチューニングの狂いなどなんのその、気分はクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングだった。ただ、それ以上の圧倒的な時間を野球盤に費やしていたのは確かであった。

だが、出会いから半世紀が過ぎた今は、胸を張ってこう言おう。
ただの級友、やがて音楽・ゲーム仲間、ふと気がついてみれば親友。