今なら道の駅湘南という手もあるぞ

前回、往年の野球盤について書くにあたって、それが今やどこまで進化しているか調べてみた。したらば、投球には高低差があり、変化球があり、さらには一部のモデルでは歓声や実況アナウンスまで流れるという。

実況アナウンス。しかし、これはどうか。実況を任せてしまっていいのだろうか。自分でしたほうが楽しくないか。キタ君との対戦に燃えたのは、まさにその部分が大きかったようにも思う。

小学生の頃、一番の遊びといえば野球、三角ベースというアレだったが、打席に入ると自ら実況し始めるお調子者がいた。学年がちがっていたこともあってか、名前には記憶がない。しかし、「オイコマ」というあだ名は深く刻みこまれている。ツーストライクを取られるたびに彼は言った。「追いこまれました!」。

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2週間も前の話になって恐縮だが、短歌甲子園。
多くの人が話題にしていた宮城第一高校3年、新藤さくらさんの一首「グミいる?と歩いてまわる教室で 君との距離を そっと確かめる」にぐっときたぼくもひとりである。わかる。わかるぞ。いとおしいぞ。

こんな時、きまって思い出すのが松田聖子「制服」、斉藤由貴「卒業」の歌詞である。彼にノートを貸したことで周囲からはぬけがけだと責められ、髪を引っ張られて怒ったふりをしながら実ははしゃいでいたりする。教室という今はもう立ち入ることかなわぬ場所での出来事に、ぼくはいまだに胸きゅんだ。

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高校で3年6組だったことは前々回に書いたが、中学でもぼくは3年6組だった。その中学時代の幹事から、6組だけの同窓会を開くという知らせが届いた。なんで? 全校じゃなくて? さらには電話までかかってきた。え、なんで?

聞くと、誰それ(女子)と何某(男子)がぼくに会いたがっているのだという。だからってなー。小学校の同窓会幹事連中は、ぼくを呼びつけるのではなく、ついでにぼくに会うために横浜ツアーを企画したぞ(その顛末)。きみたちも来ないか、みなとみらい。今なら道の駅湘南という手もあるぞ。

ぼくはけっこう若く見えるらしい。キタ君はそう言った。
シュッとしてもいるそうだ。キタ君はそうも言った。
ぼくをうれしがらせてキタ君は帰っていった。
きみたちもぼくに会いに来たらいいと思うぞ(なにを上から)。