それは不退転の決意とちゃう

以前の記事「なにかとせわしい師走のあれこれ」、これを書くにあたって「せわしい」と「せわしない」はなにがどうちがうんだっけ、同じ意味だったっけ、あれ、「せわしない」は「せわしい」の否定? などと考え始めたら不安がつのり、ChatGPTに尋ねる羽目になったのだった。

話のついでに、この際「なにげに」と「なにげない」についても訊いてみた。なんとなく感覚でわかったつもりになっていることを、しっかり言語化してくれるチャッピーはありがたい存在だ。まー、それを知ったところですぐに忘れてしまうだろうから、「わかったつもり」と大差はないっちゃないのだが。

奴は話好きなので、ついでに近年の「なんなら」の変容についても語ってもらう。チャッピーが言うには、ことばというのは辞書が決めるのでもなく、学者が守るのでもなく、結局、多数派が雑に使い続けることで変わっていくのだと。

そだねー。「手をこまねく」表現を忌み嫌っていた知人がいて、はじめはふむふむと聞いていたのだが、毎度毎度のことなのでちょっと辟易した覚えがある。「こまぬく」が「こまねく」に変化しただけでなく意味さえ変わってきた昨今、そろそろ観念した方がよくないか。

こんな時期だ。お尋ねついでに「年の瀬」の「瀬」とはなんだとも訊いてみる。が、「年の瀬の」まで打ち込んだところでうっかり送信してしまった。ChatGPTがすごいのは、これに対して24行もの返事をしてきたことだ。この書き出しから文章をどうつなぐかについて。どんだけ語るんだよ。

で、年の瀬の「瀬」である。これは川の瀬なんだと。流れが速く、底が浅く、勢いよく流れが切り替わるポイント。転じて、1年という時間の流れが終わりに向かって一気に早まる場所、それが年の瀬。

流れの中の切羽詰まった地点を示すことばには、他に「瀬戸際」があるとも聞いた。するとアレか、「瀬戸の花嫁」というのは嫁ぎ先でなにがあろうと帰れないという決意の歌か。不退転ブライドか。

なるほどなぁとひとりで盛り上がっていると、冷静な口調で妻が言った。「あれは瀬戸内海のことを言ってるんでしょうが」。それはそうだけどー(以下略)。それでは皆様、よいお年を。