晴れりゃお花見、週末ぁドラマ

昨年の今頃はすべての花見を終えていた。
しかるに今年のうちらの近所は、各地の見頃が伝えられてきた今なおようやく咲き始め。

さもあろう。先週末、車窓から見た柏尾川沿いは、露天が並び、それゆえそれなりに人出もありながら、まるで花は咲いていないというむなしい桜祭りが開かれていた。上野でも明らかだったように、花見に花は必要ないという人も確かにいる。

さて、ここが思案のしどころだ。
見頃はまだ先。しかし、天候に恵まれないこともわかっている。

というわけで、4月2日の火曜日、朝。
音楽プレイヤー持っていくのを忘れたジムでつまらなく走りながら、ぼくはにわかに思い立つ。花見にならなくたってかまわない。ただのお出かけだっていい。明日からは長雨だ。今日行こう。これから行こう。近場でいい。そだ、遊行寺行こう。

遊行寺。
箱根駅伝でおなじみの急な坂があるところ。
見頃なのに雨が続いて行けやしないと週末になって嘆くより、さして咲いていなくても天気のいい間に行っておこうという作戦。というか、思いつき。

マダムにくっついて御朱印をもらいに来たのは何年前のことだったか。風情ある庭も、犬や猫の供養塔も記憶の外だった。本当について歩いただけだったのかも。
そして桜はといえば、ほんの少ぉし咲いていた。期待していなかったので十分満足。満開時の見事さに思いを馳せるだけでもかなり満足。

帰りは藤沢駅前、さいか屋にてお茶。
駅の反対側にはスタバだのなんだのもあるけれど、ぼくもマダムもあの手の店の距離感が苦手である。隣の席とはもそっと離れて過ごしたい。セルフでないとさらによい。要は、昔ながらの喫茶店、珈琲屋好きの旧式。支払いだって現金だ。それにつけても、思い出される談話室滝沢。

ところで、閑話休題というのは余談から本題に戻るときに使うことばらしいが、では本題から余談に移るとき、あるいは単に別の話題に移るときはなんというのだろう。唐突にぼくは韓国ドラマの話をしたくなってきたのだが、はて、なんといって始めれば?

まー、とにかく目下「涙の女王」がおもしろくてたまらない。物語だけにとどまらず、キャストの妙といおうか、韓国ドラマならではの遊び心が感じられるのがさらに楽しい。最終話が配信される今月末、ぼかぁ、ロス症状に悩まされることだろう。