世間の大多数にあってぼくにない物

胆石の手術といえば、石を取りさえすればいいものだとばかり思っていた。
そんな時代も確かにあった。
ところが今や胆のうごと摘出してしまうのが当たり前なのだった。
石のせいで痛むような胆のうは、すでにろくに機能していないらしい。

胆のうがなくなるとどうなるか。
要不要にかかわらず、常に胆汁が出ている状態になってしまう。
だだ漏れなのか、じくじく染み出すのかまでは知らないが。
ともかくそのせいで術後、人によっては下痢気味になったり、
逆に便秘になったりもするらしい。

自分が胆石持ちであることはずいぶん前からわかっていた。
石があるというだけでは、しかし、問題にはならない。
誰にだって悪さをしない石のひとつやふたつあっても不思議ではないからだ。
だが、ぼくの石は数を増し、だんだん痛むようになってきた。

年に一度ぐらいの割合でそれはきた。
もちろん最初はなんの痛みだかわからない。
ただの腹痛とはちがう嫌な鈍痛。
痛いというより苦しい。いや、やっぱり痛い。
痛苦しい。ものすごく。とんでもなく。

一度覚えた独特の痛みは、二度めからはすぐにそれと知れた。
処方されていた痛み止めの座薬は幸いよく効き、
薬が切れる頃には痛みもすっかり消えていた。
このようにぼくの痛みは常に一過性のもので、
それが手術への決心を鈍らせる原因になっていた。

ところがやがて、ぼくは癌による入院・手術を二度経験し、
入院というのもそう悪いものではないなと思うに至る。
というか、そうビビるものでもないと知った。
で、一昨年の秋、ぼくは手術を決意した。

腹腔鏡手術というやつで、お腹には三つの小さな傷が残っている。
穴は四つ開けたが、縫合されたのは一カ所のみで、それも二針ほどだった。
救急車で担ぎ込まれ緊急手術を受けた同室の胆石患者は、
事前の検査もなくお腹をばっさり切られていた。

その差だろうか、術後ぼくには痛みがまったくなかったが、
彼は常に痛み止めを要求し、咳をするのも笑うのもつらそうだった。
ぼくにはなにが嫌だったかというと、そうさなぁ、術前の浣腸?
手術そのものは全身麻酔で知ったこっちゃない世界だし、
麻酔も三度めとなると適量らしく、目覚めの気分悪さもまるでなかった。

ところでぼくが何度も入院しているこの病院は、
公立ながら医療ドラマのロケにしばしば使われていたりする。
海の見える屋上で会話しているシーンを見たことがあるが、
自分が入院してみてわかった。
そこはふだん立ち入り禁止なのだった。