悼むふりして自分を語る

寝床に入って眠りにつくまで、あるいは入浴時のしばし、そんな本当にひとりだけの時間に、コロナワクチン接種後に急死した友人、サト坊のことを今も思い続けている。

初めて彼の家を訪れたのは中2の時。ラジオの深夜放送宛てのハガキが机の上にあったのを鮮明に覚えているのは、そこに書かれていたことの馬鹿馬鹿しさゆえだった。
「この鼻の薬、ようちくのう」。

サト坊にはレコードをよく借りた。シカゴだとか、ショッキング・ブルーだとか、マッシュマッカーンだとか。しばらく後にぼくが初めて自分で買ったシングル・レコードはシルヴィ・バルタンだった。

渚ゆう子が近所のレコード屋に営業に訪れた時は、彼とふたりで見に行った。しかも彼の服を着て。なぜか。学校帰り、一度家まで帰ると間に合わない。だからといって制服のままというのもダサい。そこでより近いサト坊の家でそそくさと着替えることになったのだ。そうまでしながら、「京都の恋」を買ってサインをもらうでもなく、店に入っていく渚ゆう子をただ遠巻きにしていただけだった。

1学年上の女生徒に恋をしていたぼくは、彼女と同じ進学校に進みたいと思っていた。ところが、その受験は冒険になるだろうと担任教師から言われた。つまりは落ちるかもしれないと。一方で、サト坊と同じ学校に行きたい気持ちも強かった。すこぶる楽しい3年間がそこには待っているはずだった。結局ぼくは、美少女よりもお笑い芸人のような友を選んだ。

なのに、である。よもやよもや、である。
そんな理由で決める奴があるかと担任にあきれられながらも、彼と一緒にいたいがためにふたつもランクを落としてぼくは志望校を選んだというのに、肝心のサト坊が受験に失敗してしまったのだ。彼の顔がこわばったのを見たのは、後にも先にもこの時きりだ。

高校時代は、週末の夜はたいていサト坊の部屋で過ごした。彼の部屋は出入り自由で、そもそも家に鍵がかかっていなかった。黙ってガラガラと引き戸を開け、黙ってどすどすと階段を上り、主がいようがいまいがベッドでくつろぐ。時折、「サト坊か? あんたなー」などと言いながら彼の母親が入って来たが、「なんや、まるこめ君か」とそれ以上なにを言うでもなく降りていくのが常だった。

そんなあれこれを思い出しつつ、ぼくはまたも井上靖の「北の海」を読んでいた。学生時代から新刊で読み、文庫で読み、キンドルで読み、半世紀にわたってかれこれ7、8度は読んでいる。中学時代、「愛読書は○○です」と自己紹介する者を、けっ、13かそこらで愛読書もなにもあるかいなと思ったものだが、これはもう愛読書といってもいいかもしれない。

浪人しながらも遠い学校の柔道部の夏練に参加する主人公とそれを取り巻く猛者たちの、10代の間にしか流れないであろう濃密な時間。大正の終わりから昭和の初めにかけての物語であることは読むほどに忘れ、時代に関係なく迸る若さがただただ眩しく、愛おしく、そして切ない。ここできらきら輝いた、そのモデルとなった者たちの、誰もがとうに生きてはいないのだ。

盟友ともいうべきサト坊を亡くして、ぼくは気づいた。共有していたはず時間が、ぼくひとりのものになってしまったことに。あの頃のぼくを語れる者はいなくなった。14歳から24歳までのぼくを誰より知っていた人はもういないのだ。思い出の質量が変化した。

友を悼むふりをして、自分のことばかり語ってしまうぼくである。