なにも書かずに五月を終えるのはまずすぎる

特筆すべきことがないというのならいざしらず、
神戸まで猫に会いに行き、大阪での同窓会に出席し、
京都では伏見や宇治を訪ねるという濃密な三日間を過ごしておきながら、
なにも書かずに五月を終えてしまうのはまずすぎる。
月が替わらぬうちにうんと端折って書いてしまう。

神戸の猫というのは、言わずと知れたソンミンのことである。
茅ヶ崎海岸に暮らすこと十余年。栄華を誇った茶白一族最後のひとり。
ひょんなことから心優しい神戸在住の方に引き取られてそろそろ一年。
今は詩(うた)という名を与えられ、お母さんと同衾する日々。
機会があったらぜひ会いに来てくださいと言われ、すっかりその気になっていた。

そんなところへ、中学の同窓会開催の知らせ。
ふつうなら行かない。これまで一度も行ったことない。
しかし、今回はちがう。ついでに詩君に会える。
というか、詩君に会いに行くついでに同窓会に出るのもいいかもしれない。

同窓会に対する思いがいつもとちがうのには、もうひとつのわけがある。
一昨年暮れ、横浜までやって来た小学校の同窓会の幹事連中の存在だ。
その半数が中学でも同窓会の幹事だったりする。
なんか、もー、断りにくくないか、これ。
そしてもうひとつ。うちのマダムも同じ中学の同窓生なのだった。
なんつうか、もー、断る方が不自然でないかい、これ。

というわけで、思いの外楽しんでしまった初めての同窓会。
同じ高校に進んだケイコさんとはちょっといい仲だった。
だったような気がぼくはしているが、実のところどうだったのかはよくわからない。
わからないながらも、彼女との再会にぼくは大いに浮かれ、
翌日になってもまだでれでれしていた。
するとどうなるか。マダムの機嫌が悪くなる。

それがちょっと不本意で、何人かに言ってみた。
こういう次第で、マダムの不興を買っていると。
したらば、こうだ。
「愛されてますね(笑)」
「関心を持ってもらえてよろしいなぁ(笑)」

なんでみんな(笑)付きやねん。
笑い事やない。