長大なるもの

1年ぶりの膀胱鏡検査。
癌宣告から9年、いったい何回目になるんだか、もうさっぱりわからない。

この検査、最初の手術までに2回した。術後しばらくは3ヶ月に1回だったのが、やがて半年ごとになり、一昨年からようやく年に1度となった。さらに、術後には膀胱内注入療法というのを週1ペースで6回している。2度の内視鏡手術も合計して、ぼくのチンコには何度器具だのカメラだのが侵入したことか。

慣れっこだ。怖くなんか全然ない。恥ずかしさもすでにない。足を括られ、股が開かれるあの治療台に下半身裸で座りながら、看護師さんと談笑していたりする。だが、いくら局部麻酔を施されているといっても、痛いものは痛い。痛いのだけはものすごく嫌だ。

想像してみ。管が入ってくるんだで。下半身はカーテンの向こうにあるから、太さ長さはわからないながら、チンコの先から尿道を通って、開けた膀胱の奥までも、管が入ってくるんだで。角度変えて動くんだで。痛くないわけがなかろー。もうね、ずっと大きく口で息しっぱなし。はうあっ。

というような次第であるから、長大なものを持っている人は、よりつらいんじゃないかと思う。ぼくなどはすぐに膀胱まで達してしまうので、あまりひぃひぃ言わずにすんでいるのかもしれない。

長大といえば、にわかに思い出したことがある。中学時代、ウチには風呂があったのだが、しばしば友人と誘い合わせて銭湯に行っていた。紳士の社交場などと称して。そこでの光景だ。

風呂場で座っている時、ぼくらの持ち物は太ももの間でぶらぶらしている。だいたいそうなんじゃないかと思う。しかし、その人はちがっていた。目配せする友人の視線の先にいたその人の持ち物は、太ももの上に乗っていた!

ぼくの粗末な持ち物は、乗せようと思っても乗らない。友人のだって乗らない。乗せてみるまでもない。想像の埒外だ。しかるに、その人の長大な持ち物は、太ももの上にずしりと置かれているではないか。どんだけ長いんだよ。くらくらした。

この人、膀胱鏡検査、大変だろうなぁ。ふと思った。

というわけで、今回もぼくの癌は再発しておらず無事でした。
次回は1年後。これが最後になる予定。