多様性の真実

ぼくが通っているジムでは、従業員の身だしなみについての新ルールが採用された。多様性ある社会に向けて、というのが謳い文句だ。具体的にはアクセサリー、ヘアカラー、ネイルに関してのことらしい。これを受けて、年が明けると女性スタッフの髪が、赤だか金だか形容しがたい色になっていた。ええやん。素敵やん。

一方、ネット方面ではささいな一言を論破、あるいは封殺しようとする動きが絶えないようだ。なるほど、あなたはそう思うんですね、でも私はこう考えます。どうもそれではすまないらしい。相手を言い負かさないことには気がすまない人たちが確かにいる。まー、個人の感想ですが。

これをもってこれをみれば。あぁ、古文の授業を思い出す。
ともかく此を用つて之を観れば、此比都にはやる物であるところの多様性つうのは、あくまで外見に関しての話であって、考え方だとか感じ方だとかには適用されないようである。ぼくの考えなどは特に尊重されないだろうから、これは気にとめておくべし。

話はころりと変わって、八代亜紀。
高1だったか高2だったかの頃、「なみだ恋」のプロモーションで彼女が近所のレコード屋にやって来た。中3の時には渚ゆう子を遠巻きにしたぼくだったが、今回はただその来店告知ポスターをぼーっと眺めていただけだった。

ところがだ。8つ年下の妹は、これにのこのこ出かけていって、サイン入り色紙を持って帰ってきたのである。そこには「みほちゃんへ」とまで書かれていた。ええやん、この程度の個人情報。ともあれ、不思議だ。サインをもらったからには、彼女はレコードを買ったのだろう。そもそも誰の差し金でそんなところに行ったのだろう。知らされていたかもしれないが、すっかり忘れた。半世紀前の話ですもん。

これがほとんど唯一の八代亜紀にまつわる思い出だ。中村晃子やちあきなおみ、平山みきについてなら、ぼくにも思うことがもっとある。しかし、八代亜紀。いかにも元クラブ歌手的な美貌だったなぁとか、いい感じに年とったなぁとか、ずいぶん人柄よさそうだなぁとか、その程度にしか思っていなかった。けれども、半世紀にわたって知っていた。同じ時代を生きてきた。残念でないはずがない。悲しみを感じないはずがない。ご冥福をお祈りする。

写真は今年二度目の初詣で、相模国一ノ宮、寒川神社にて。
今年は安産のお守りをいただきに、あっちこっち行く予定。

そして、あいかわらずのゲームな日々。
やっぱヒロインが力尽きると、おいちゃんだってぐっとくる。